水路紀行

隠された水路の魅力を発掘していきます。

2017-10-17 敗戦処理

どうも体が重たいし、できれば一日中家で引き籠りたい気分だったけど、大学にきてお仕事。幸いなことに、気持ちが凹んでいても論文執筆には集中できた。今後のことについて受入教員と相談するつもりだったのだが、今日は終日ご出張のようで相談は出来なかった。まぁ、いろいろと焦ってもしょうがない。

 

今回の審査結果で思ったのだが、和文論文と国内発表の評価については、審査分野によってかなり異なるのではないだろうか。あと、僕の論文が掲載された雑誌のうち、最もImpact factorが高いのは農業系の国際誌だが(4程度)、その雑誌はもしかしたら、生物学分野の研究者の間では知名度が低いのかもしれない。その雑誌からは保全生物学でも重要な論文がそこそこ出版されているのだが、雑誌の系統は農業だしなぁ。

 

研究もその他のことも、焦らず慌てず諦めず、日々精進するしかない。

2017-10-16 あれ?

あれ?論文数が増えたのに業績の点数がグッと下がってる。こりゃあ、申請細目を間違えたかなぁ。。

近況(2017-10-14) 運動会

今日は双子の姪っ子たちの運動会だった。まぁまだ2歳だし、保護者と一緒にする競技だったり、ダンスはまともに踊らなかったりするわけだが。幼稚園の全クラスの子ども達のお遊戯(!?)が見れたが、何とも可愛くて元気がもらえた。もう一つ印象的だったのは、幼稚園の先生たちが終始楽しそうにしていたことだった。あんな激務を余裕を持ってこなしてしまう姿に頭が下がる。

近況(2017-10-13) 疲弊

今日は学振の審査結果の開示日だというウワサだったので、一日中そわそわしながら過ごした。昨年は14時14分に「結果開示のお知らせメール」が僕に届いたので、今年もそのあたりかと思い、正午あたりからいよいよ緊張していきた。13時40分頃、僕の頭の中でこれまでの人生が走馬灯のように駆け巡った。14時頃には緊張を通り越した、何とも言えない気持ちになった。そのとき、琵琶湖が「おかえり」と声を掛けてくれた気分になった(注:あくまで妄想です)。

 

で、今日は結果開示されないんかい!ネットで誰かが言ってたけど、10月になったら、結果開示日を事前に告知して欲しい。待ってる方は精神的にどれだけ振り回されるか・・

近況(2017-10-11) 論文改訂

論文の改訂作業中。国際誌で真に優秀な編集者・査読者にコメントをもらいながら論文を改訂するのは楽しい。コメントが的確だからこっちが困惑することがほぼないし、指摘が具体的だからどう対応したらいいのか分かりやすい。それに何より勉強になる。

 

僕は論文を改訂する時のポイントは、「必殺ポジティブ返し」だと思っている。重要な指摘をしてくれたらお礼も書いておく。改訂で対応できないコメントに対しても、将来的に取り組んでいきたい等と、前向きな姿勢でコメントを受け止めて対応していくことが、受理への近道だと考えている。まぁ、僕なんかまだまだ修行中だけど・・

近況(2017-10-10) 編集者と査読者の「かがみ」

先日、投稿論文が3回目の「major revision」で返ってきた。恐る恐るコメントを確認してみると、なんと査読者が交代されて#3と#4になっていた。担当編集者のコメントによると、査読者#1と#2はそれほど良いコメントをしていたわけではないので、他の人に代えたらしい。これまでの改訂で、査読者#1と#2のコメントへの対応はほぼ終わっていたので、acceptまじかで査読者が変更され、新しい指摘を大量に頂いたことになる。でも担当編集者は最後に、「この論文の審査が長引いているのは僕も知っているし、この次に最終判定ーacceptかrejectーを下そうと思う。僕はこの論文が受理されるのを楽しみにしている」と書いていた(もちろん、英語で)。まぁ、新しい査読者のコメントを可能な限り反映して原稿を修正し、おそらくそれでacceptしてくれるつもりなのだろう。何かに付けて親切な担当編集者です。

 

それで、新しい査読者2人のコメントを読んでみたのだが、、驚いた。僕の論文を凄く高く評価してくれている。コメントの量は多いが総じて的確であり、親切にも様々な提案を与えてくれている。コメントを読んでいると、非常に優秀で親切な査読者たちなのが伝わってくる。心から感謝します。

近況(2017-10-8) 論理的とは

今日はほぼ一日中、姪っ子と甥っ子の子守りをしていた。夕方頃に姪っ子が体調を崩してドタバタ。風邪が酷くなったようだ。

話は変わるが、実は僕はいまだに、「論理的」とはどういうことか具体的には理解していない。そもそも、これはかなり漠然とした表現ではないだろうか?研究で「論理的」というと、主張が根拠で裏付けられていることで、文章が「論理的」というのは、一貫して意味が通っていること位に考えていた。

論理的とは合理的とも言い換えることが出来るらしい。いろいろ考えていて思ったのだが、人は誰しも、日常生活の中で論理的・合理的な思考を使っていると思う。日常生活の中での人間の脳の動きは複雑で多様であり、ときには合理的だったり、ときには感覚的だったり、ときには感情的だったりする。でも、何となく感覚的に考えてやっているようで、よく考えてみるとその実、感覚には由来があって、その由来は合理的な理解から来るものだったりする。人間の脳は普段、実はかなり複雑で高度な処理をしていると思う。

だから、そういう意味で「論理的に思考できない」人なんていないと思う。ただ状況によって、感覚的だったり、思考が抜けていたり、論理を人に伝えられなかったりするではないだろうか。

でも、論理的思考は鍛えれば鍛えられるものだと思う。鍛えられた人の話を聞くと「考えがよく行き届いている」と感じたりする。